困難の20世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 08:10 UTC 版)
第一次世界大戦勃発後、国境の近接が市を悲惨な状態へ転落させることになった。戦争で、カリシュは最初に戦禍を被ったのである。国境を巡って攻撃が連続し、ドイツ帝国は武器庫のあるカリシュを砲撃した。1914年8月7日から8月22日まで続いた激しい攻撃の間、町はほとんど完璧に破壊し尽くされた。ヘルマン・プレウスカー率いるドイツ師団が市へ入城し、市民側のロシア帝国軍がカリシュを守っていたことからドイツ軍は報復に出た。800人の男性が逮捕されたり虐殺され、その間に市には火が放たれ、生き残っていた市民は追放された。1914年にはおよそ68,000人いた住民が、同じ年の終わりにはたった5,000人の生存者を残すだけだった。しかし、大戦の終わりには市の中心部が多少再建され、かつての住民が帰還することが許された。 カリシュは、独立したポーランド共和国へ再び加わった。再建が続行され、1925年には新たなタウンホールが開館した。1939年まで、町にはおよそ89,000人が暮らしていた。1939年にポーランド侵攻が始まり、またも国境に近接していることが災いを招いた。カリシュはすぐに満足な戦いをすることなくドイツ国防軍に攻略され、ナチス・ドイツが直ちに市を併合した。第二次世界大戦の末期にはおよそ30,000人のユダヤ人が殺害されていた。加えて、20,000人の地元のカトリック教徒が殺されるかポーランド総督府へ追放され、ドイツへ強制労働者として連れ去られた。1945年、市にはわずか43,000人しか住民がいなかった。これは、戦前の人口のおよそ半分であった。 第二次世界大戦後、町の再建が始まった。1975年、ポーランド統一労働者党第一書記エドヴァルド・ギェレク (en) のポーランド地方行政改革後、カリシュは分離したカリシュ県の県都に定められた。これは1998年に廃止され、カリシュはヴィエルコポルスカ県内のカリシュ郡の郡都となった。1991年、市が特権都市となった1282年を記念して6月11日が祝日に定められた。同じ年、市は分離したカリシュ司教座の所在地となった。
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