四代目から21世紀へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 13:43 UTC 版)
1984年(昭和59年)における竹中正久の襲名によって四代目体制が発足するも、これを不服とした離反勢力を相手とする大規模な抗争(→山一抗争)に突入。その過程で抗争相手の一和会により暗殺された竹中に代わって、抗争が終結するに至った1989年(平成元年)、傘下の有力組織・山健組を率いた渡辺芳則を首領に据える五代目体制が発足。暴力団対策法施行の年でもあった1992年(平成4年)には、直系組織総数が三代目体制下の1963年(昭和38年)以来の最大数(120超)を記録した。 五代目体制期の1995年(平成7年)1月17日に阪神・淡路大震災が発生すると、渡辺自身の陣頭指揮による組織ぐるみの災害救援活動を展開。その活動は神戸新聞社の記者でさえ『半端なものではなかった』と言わしめた。 1997年(平成9年)になると五代目体制開始以来の非常事態と言われた「宅見若頭射殺事件」が発生。この事件は以後の組織に混迷をもたらす未解決の懸案事項となった。 2004年(平成16年)より渡辺は長期休養に入るとともに組織運営の全権を執行部へと委譲していたが、翌年の2005年(平成17年)7月に引退を表明。予期なき突然の引退であった。ここに16年間の長きにわたった五代目体制が終焉。そして、若頭の役にあった司忍の新たな襲名をもって、同年のうちに六代目体制が発足し現在に至っている。
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