囎唹郡(第2次)・曽於郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 00:11 UTC 版)
1897年(明治30年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。 鹿屋市の一部(輝北町諏訪原・輝北町市成) 曽於市の全域 志布志市の全域
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1.財部村 2.末吉村 3.市成村 4.岩川村 5.恒吉村 11.東志布志村・西志布志村・月野村 12.大崎村・野方村 13.松山村(紫:鹿屋市 桃:曽於市 赤:志布志市 青:合併なし) ウィキソースに囎唹郡を曽於郡に改称する件の原文があります。 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「岩川郡役所」が管轄する東囎唹郡・南諸県郡の区域をもって囎唹郡(第2次)が発足。以下の各村が所属。(11村)旧・東囎唹郡(5村) - 財部村、末吉村(現・曽於市)、市成村(現・鹿屋市)、岩川村、恒吉村(現・曽於市) 旧・南諸県郡(6村) - 東志布志村(現・志布志市)、大崎村(現・曽於市、大崎町)、野方村(現・曽於市、志布志市、大崎町)、西志布志村、月野村、松山村(現・志布志市) 明治31年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。 大正2年(1913年)7月1日 - 東志布志村が町制施行・改称して志布志町となる。(1町10村) 大正11年(1922年)10月1日 - 末吉村が町制施行して末吉町となる。(2町9村) 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。 大正13年(1924年)4月1日 - 岩川村が町制施行して岩川町となる。(3町8村) 大正15年(1926年)4月1日 - 財部村が町制施行して財部町となる。(4町7村) 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。 昭和11年(1936年)1月1日 - 大崎村が町制施行して大崎町となる。(5町6村) 昭和30年(1955年)1月20日 - 岩川町・恒吉村・月野村が合併して大隅町が発足。(5町4村) 4月1日 - 野方村が分割し、一部が西志布志村に、一部が大隅町に、残部が大崎町にそれぞれ編入。(5町3村) 昭和31年(1956年)4月1日 - 市成村が肝属郡百引村と合併して輝北町が発足。(6町2村) 昭和33年(1958年)4月1日(8町)松山村が町制施行して松山町となる。 西志布志村が町制施行・改称して有明町となる。 昭和47年(1972年)4月1日 - 囎唹郡が改称して曽於郡となる。 平成17年(2005年)7月1日 - 大隅町・財部町・末吉町が合併して曽於市が発足し、郡より離脱。(5町) 平成18年(2006年)1月1日(1町)松山町・志布志町・有明町が合併して志布志市が発足し、郡より離脱。 輝北町が鹿屋市・肝属郡串良町・吾平町と合併し、改めて鹿屋市が発足、郡より離脱。
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