品種の再生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 01:18 UTC 版)
クロード・トンプソンと有志が1938年にアパルーサ・ホース・クラブ (ApHC) を設立した背景に、前年の1月に発売された雑誌『ウエスタン・ホースマン』の記事があった。アイダホ州ルイストンの歴史学者フランシス・D・ヘインズが寄せた記事はアパルーサの歴史をまとめ、品種の保護を訴えたのだ。たちまちアパルーサに注目が集まった。ヘインズは綿密な調査のためにネズ・パース族の暮らす村をいくつも訪れている。旅にはアパルーサをこよなく愛する友だちのジョージ・ハトリーが同行、口伝えの歴史を聞き取り写真に記録したのだ。アブルーサの登録機関ははじめオレゴン州モロに設立、その後1947年にハトリーを中心としてアイダホ州モスコーヘ移す。アパルーサの歴史を守ろうと1975年にアパルーサ博物館を建てる機運が生まれた。『ウエスタン・ホース・マガジン』、わけても長年にわたり編集長を務めたディック・スペンサーは最初にアパルーサを取上げた後もおりに触れて特集を組み、品種の保護の努力を支えていく。 アラブ種との交配はアパルーサの数を増やす大きな要素であり、最初にApHCに登録された15頭のうち10頭はアパルーサとアラブの交配だったことからもわかる。たとえばクロード・トンプソンが育てたあるグループの種牡馬はフェラース Ferras という名前で繁殖家は W・K・ケロッグ、血統はイギリスのクラバット・アラビアン・スタッド Crabbet Arabian Stud から持ち込まれた。フェラースから出たレッドイーグル Red Eagle は優れた牡馬で、1988年にアパルーサの殿堂入りを果たした。その後は繁殖にサラブレッドとクオーターホースの血統が加わり、モーガンやスタンダードブレッドとの交配も進むのである。ApHC が1983年に異種交配を3種に制限、アラビア種、アメリカン・クオーターホース、サラブレッドだけが承認される。 ApHC が軽種馬の登録数で全国3位に入ったのは1978年以降。1938年から2007年まで67万頭のアパルーサを登録したのである。アイダホ州は1975年3月25日にアパルーサを州の馬として公認、セシル・アンドラス州知事が条例に署名した。また交通局が全米初のケースとしてアパルーサの絵柄を入れたナンバープレートを発行。
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