和鐘の形式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 05:41 UTC 版)
和鐘の場合、頭部は龍頭といい、それ以下を鐘身という。鐘身は上帯・中帯・下帯と称される3本の横帯で水平方向に区切られるとともに、垂直方向にも縦帯と称される帯で区切られる。縦帯は通常4本で、鐘身を縦に4分割する(近世の鐘には5本の縦帯をもつものもある)。上帯と中帯の間の空間は、上部を「乳の間」(ちのま)、下部を「池の間」と称する。「乳の間」には「乳」と称する突起状の装飾を並べる。「池の間」は無文の場合もあるが、ここに銘文を鋳出(または刻出)したり、天人像、仏像などの具象的な図柄を表す場合もある。銘文には文字が浮き出た陽文銘と窪んで彫られた陰文銘があり、鋳造と同時に作られた銘文を原銘、あとで彫られたものを追銘という。中帯と下帯との間のスペースは「草の間」と呼ばれる。鐘身の撞木が当たる位置には通常2箇所の撞座(つきざ)が対称的位置に設けられる(まれに4箇所に撞座を設ける例もある)。撞座の装飾は蓮華文とするのが原則である。 和鐘の基本的形状は奈良時代から江戸時代まで変わりがないが、細部には時代色が表れている。梵鐘の時代を判別する大きなポイントの1つは撞座と龍頭 との位置関係である。奈良時代から平安時代前期の鐘では、2つの撞座を結ぶ線と龍頭の長軸線とは原則として直交している。すなわち、鐘の揺れる方向と龍頭の長軸線とは直交する。これに対し、平安時代後期以降の鐘においては龍頭の取り付き方が変化しており、2つの撞座を結ぶ線と龍頭の長軸線とは原則として同一方向である。すなわち、鐘の揺れる方向と龍頭の長軸線とは一致している(若干の例外はある)。また、奈良時代から平安時代前期の鐘では撞座の位置が高く、鐘身の中央に近い位置にあるのに対し、平安時代末期以降の鐘では撞座の位置が下がる傾向がある。
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