和銅元年創鋳説
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『続日本紀』の和銅元年5月11日(708年6月3日)の銀銭、および同8月10日(708年8月29日)の銅銭の記事を、それぞれ古和同銀銭および銅銭の発行に充てる説である。天武天皇12年の条にある銀銭は無文銀銭であるとされる。また「和同」は「和銅」の略であると同時に吉語の意味も含ませたとする折衷案もある。 和同開珎天武朝創鋳説で和銅2年正月25日(709年3月10日)詔「さきに銀銭を頒ちて、前銀に代え」を解釈すると、不隷開古和同銀銭を隷開古和同銀銭に代えたとなり、書体の僅少の差違のみで両者を引き換えるべき理由や必要性は認められず、和銅以前に和同銀銭の鋳造は無かったとなる。 また、銀銭が銅銭に先行したのは、無文銀銭の2/3程度の量目でしかない和同開珎銀銭を無文銀銭に代わる貨幣つまり銀1/4両に等価値の名目貨幣として発行し、銀銭が定着すればこれを銅銭に代える試みであったとも考えられる。ここで、和銅元年1月11日(708年2月7日)の武蔵国からの和銅(自然銅)の献上は、年号を改める程の重大事であることを天下にアピールするための創作に近いものであったと推定している。古和同銀銭の初期と思われるものは藤原京(694-710年)でまとまって出土しており、和銅元年から平城遷都までの藤原京最後の時期と重なり年代関係によく対応する。
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