天武朝創鋳説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:11 UTC 版)
『続日本紀』に和同開珎の銭銘が現れず、『日本書紀』の天武天皇12年4月15日(683年5月16日)の条にある「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いること莫れ。」の銅銭と銀銭は、古和同銅銭と銀銭を私鋳銭と考え、これが該当するとの説が明治時代頃からあった。特に「開珍」説の支持者を中心に吉語である「和同」と元号の「和銅」は無関係であり、「和銅以前に和同あり」の説が受入れられた。しかし、この説は問題点が多く指摘され、特に富本銭が天武天皇12年の条の銅銭に該当するならば成り立たない。
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