天母地区の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 05:13 UTC 版)
教団の中心は、台北の三角埔に建設した天母神社であり(現・中山北路七段一九一巷)、その御神体は中国福建省湄州(湄洲妈祖祖庙)から譲り受けた媽祖像であった。 布教とともに、本拠地の三角埔(後に天母と呼ばれるようになる)で温泉の採掘や旅館、バスの経営を行い、また、教会を中心とした高級住宅地の開発を計画するなど、開発事業と密着している宗教でもある。 天母教は、終戦を迎えると教祖である中治稔郎が帰国し、事実上消滅することとなる。資産はすべて国民党に接収され、高級官僚の住宅などに転用された。その後、住環境の良さから米軍関係者や大使館など、外国人がこの一帯に多く住み始めたことにより発展し、天母教が構想していた通り高級住宅街となっている。
※この「天母地区の開発」の解説は、「天母教」の解説の一部です。
「天母地区の開発」を含む「天母教」の記事については、「天母教」の概要を参照ください。
- 天母地区の開発のページへのリンク