同じ時期に出演するレギュラー番組は最大でも3本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:29 UTC 版)
「やしきたかじん」の記事における「同じ時期に出演するレギュラー番組は最大でも3本」の解説
たかじんが1970年代後半に「日本一移動距離の長い芸能人」(前述)と称されるほどにまで多忙を極めたのは、当時の東京での仕事の窓口だったヤングジャパンから、週に6本ものラジオ番組でレギュラーを任されていたことによる。ただし、いずれの番組でも、たかじんの役割は同社からの情報を提供する「ナビゲーター」に過ぎなかった。 たかじんは、そのような境遇で2年ほど過ごした末に、同社の社員だった野田と共に東京からいったん撤退。「歌手」としての仕事を地元の関西に求めた。しかし、たかじんをかつて『MBSヤングタウン』のレギュラーに起用した渡邊一雄 (プロデューサー)から、「大阪というか関西では、歌だけで食べていかれへんぞ」と指摘。これを機に、出演を依頼された全ての番組でレギュラーを引き受ける道を選んだ。たかじんが後に述懐したところによれば、(タレントとしての)上昇機運をつかんだことを実感したのは、『聞けば効くほどやしきたかじん』のパーソナリティを務めていた時期だったという。 もっとも、『聞けば効くほどやしきたかじん』や『晴れ時々たかじん』を軌道に乗せてからは、同じ時期に出演するレギュラー番組を最大でも3本に限定。東京へ再び進出した1992年度の下半期にも、大阪・東京で3本の姿勢を貫いた。たかじんの逝去後も、在阪の民放テレビ局では、「たかじん」の名を冠した3本のレギュラー番組が放送を続けている(前述)。ちなみに、たかじんは生前、レギュラー番組を3本以下にとどめるようになった理由について「企画の段階から参加できない番組でレギュラーを務めることは、『ギャラ稼ぎ(を狙った)流しの仕事』に過ぎないので視聴者に失礼」「新番組を引き受ける限りは(視聴率で裏番組に)圧勝しなければならないが、不器用な自分の能力では3本が限界」「テレビ番組に関わる以上、(自宅へ大量に設置した)ビデオデッキで録画した番組を全部見たうえで、放送内容を徹底的に分析しなければ納得が行かない」と述べている。
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