渡邊一雄 (プロデューサー)とは? わかりやすく解説

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渡邊一雄 (プロデューサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/10 14:32 UTC 版)

わたなべ かずお
渡邊 一雄
生誕 1935年
兵庫県
死没 2010年10月11日(満75歳没)
出身校 大阪学芸大学音楽科卒業
職業 ラジオプロデューサー
テレビプロデューサー
音楽プロデューサー

渡邊 一雄渡辺 一雄、わたなべ かずお、1935年 - 2010年10月11日)は、日本テレビプロデューサー

毎日放送(MBS)プロデューサーで、ラジオ局次長、スポーツ局長、役員待遇テレビ制作部長、同社特別顧問を歴任した。

ラジオ番組MBSヤングタウン(ヤンタン)』初代プロデューサー。兵庫県出身。

来歴・人物

1959年大阪学芸大学音楽科を卒業し、1960年にMBS入社。1967年よりヤンタンのプロデューサーを20年に渡り務め、パーソナリティからは「大ナベさんオオナベさん)」の愛称で親しまれた(この愛称は、後に同姓の後輩社員渡辺高志がディレクターを担当する事になったため、後輩を「コナベさん」として区別した上でついたもの)[1]。ヤンタンのほかにも、数々のラジオ・テレビ番組の制作に関わったほか、『サントリー1万人の第九』など音楽ライブイベントの制作・プロデュースにも関わった。

1987年よりテレビ制作部長を務め、その後は1995年よりラジオ局次長、スポーツ局長を経て役員待遇テレビ制作部長を歴任した。1997年6月に定年退職後は2002年6月までMBSの特別顧問を務め、その後は音楽プロデューサーとして活動していた。2005年には、ヤンタンについての回顧録『ヤンタンの時代』を発表した。

2010年10月11日肺癌のため死去、26日にMBSより明らかにされた[2]。75歳没。

2010年12月6日、大阪・シアターBRAVA!にて「偲ぶ会」が開かれ、桂三枝(現・六代目桂文枝)や谷村新司などといった「ヤンタン」歴代パーソナリティらが集まり、故人を偲んだ[3]

詳細情報

制作番組

ラジオ
テレビ

出演番組

制作・プロデュースを行ったイベント

著書

  • ヤンタンの時代

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ 参考:嘉門達夫の某某日記 4ページ代官山プロダクション公式HPに掲載されていた嘉門達夫のウェブ日記) ※インターネットアーカイブ2000年9月30日付保存キャッシュより。第8段落の日記で、「オオナベさん」「コナベさん」についての由来が書かれている。
  2. ^ 「ヤンタン」初代プロデューサー渡邊一雄さん、死去 ― スポニチ Sponichi Annex 大阪[リンク切れ]
  3. ^ 渡邊一雄さん:ヤンタンの名プロデューサーを「偲ぶ会」チャゲアスも久々ツーショット - 毎日新聞デジタル、2010年12月7日
  4. ^ Discography│つんく♂オフィシャルウェブサイト”. www.tsunku.net. 2022年12月10日閲覧。

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