渡辺三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 09:42 UTC 版)
渡辺 三郎
わたなべ さぶろう
|
|
---|---|
生年月日 | 1926年12月23日[1] |
出生地 | 山形県米沢市[1] |
没年月日 | 2003年2月14日(76歳没)[1] |
死没地 | 山形県山形市 |
出身校 | 米沢商業高等学校[1] |
前職 | 県労評事務局長 山形県議会議員[1] |
所属政党 | (日本社会党→) 無所属 |
称号 | 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 旧山形1区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1972年 - 1986年 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1966年 - 1972年 |
渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1926年12月23日 - 2003年2月14日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。山形県議会議員(2期)。1998年勲二等瑞宝章受賞[2]。
経歴・人物
山形県米沢市出身。1944年米沢商業高等学校卒。社会党に入党し1966年山形県議に当選。
党公認として1972年の第33回衆議院議員総選挙旧山形1区から出馬。当選して5期務める。労働関連に精力を傾け、党国会対策副委員長などを歴任した[3]。
1986年の第38回衆議院議員総選挙では交代を求める声や、党内の勢力比などから、党県本部は渡辺をおろし、新顔の五十嵐恒男を擁立するが、党の公認が得られないまま無所属で出馬。除名処分となり[4]、落選した。
2003年2月14日、気管支肺炎のため死去。享年76[3]。
著書
- 『新中国の現実』渡辺三郎、1961年。
脚注
渡辺三郎 (曖昧さ回避)
(渡辺三郎 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/14 04:10 UTC 版)
渡辺 三郎(わたなべ さぶろう)
- 渡辺三郎 - 衆議院議員
- 渡辺三郎 (船橋市長)
- 渡辺三郎 (陸軍軍人) - 陸軍少将
- 渡辺三郎 (児童文学者)
- 渡辺三郎 (能楽師)
- 渡辺三郎 (工学者) - 日本特殊鋼 (株) 創業者・貴族院勅選議員
![]() |
このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 |
渡辺三郎(わたなべ さぶろう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:07 UTC 版)
「だいすき!! ゆずの子育て日記」の記事における「渡辺三郎(わたなべ さぶろう)」の解説
103号室に住む浪人生。医者一家に生まれ育ち自身も医学部を目指していたが三浪。柚子の詐欺被害を担当した弁護士・和田に出会ったことがきっかけで、弁護士を目指し法学部の受験を決意する。外見は老けて見えるが、実は20歳。続編『ひまわり!! それからのだいすき!!』でも和田と共に同僚に騙された知的障害の男性のために行動した。
※この「渡辺三郎(わたなべ さぶろう)」の解説は、「だいすき!! ゆずの子育て日記」の解説の一部です。
「渡辺三郎(わたなべ さぶろう)」を含む「だいすき!! ゆずの子育て日記」の記事については、「だいすき!! ゆずの子育て日記」の概要を参照ください。
- 渡辺三郎のページへのリンク