合意とその背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 09:47 UTC 版)
「オランダ病」も参照 欧州における天然ガスの大産出国であるオランダは、1970年代の石油ショックによるエネルギー資源価格高騰により多額の収益を上げた。国家財政が潤い高レベルの社会福祉制度が構築されるとともに、労働者賃金も上昇した。しかし天然ガスの輸出拡大はオランダ通貨ギルダーの為替レート上昇をもたらし、同時に労働者賃金の上昇による輸出製品の生産コスト上昇も加わり、工業製品の国際競争力が急速に落ちることとなった。資源エネルギーブームが去った後も、高レベルの社会福祉制度は維持され国家財政を圧迫した。 また、労働者賃金の高止まりは、雇用数を絞ることで総人件費を抑えるという選択を雇用者側にさせた結果、大量の失業者を生んだ。1980年代前半には失業率は14%に達するとともに、経済成長率はマイナスに陥った。オランダ病と言われる大不況が国を襲った。 この状況を打開するため、1982年11月24日に、政府の支援により雇用者団体と労働者団体の間で、賃金削減と、雇用確保のための労働時間短縮について合意した。また同時に、政府は労働者側の収入減を補うための減税と企業側の雇用維持による負担を補うため社会保障負担の低減といった両者に対する支援を行うとともに、財政健全化や企業投資促進のための政策もセットで行うことが決められた。
※この「合意とその背景」の解説は、「ワッセナー合意」の解説の一部です。
「合意とその背景」を含む「ワッセナー合意」の記事については、「ワッセナー合意」の概要を参照ください。
- 合意とその背景のページへのリンク