合意された条項
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/20 06:13 UTC 版)
「コンスタンティノープル条約 (1700年)」の記事における「合意された条項」の解説
条約は1700年7月3日(ユリウス暦)/7月14日(グレゴリオ暦)にイスタンブールで締結された。ロシア帝国とオスマン帝国は30年を満了とする停戦に合意した。スルタンは、アゾフ要塞の領有とタガンログとパブロフスク(ウクライナの都市マリウポリの旧名)とミウスの要塞を新しく建てることを含めて、アゾフ地域のロシアの権益を認めた。ロシアはケルチ海峡の要求を取り下げたが、ジョチ・ウルスによるモスクワ大公国の占領以来納め続けていたクリミア・ハン国への毎年の貢納から解放された。ドニエプル川に沿った要塞はロシア軍によって取り壊されてからオスマン帝国に返還した。ドニエプル川下流地域とザポロージャ南部とペレコープ地峡は非武装地帯とされた。スルタンは、配下の者やクリミア・タタール人はロシアを攻撃しないことを明言し、ロシア側も、ツァーリが配下の者・ドン・コサック・ザポロージャ・コサックがオスマン帝国を攻撃しないことを約束した。 ロシアもオスマン帝国も、国境沿いに要塞を建造しないと約束した。オスマン帝国はまた戦争のロシアの捕虜を解放すると約束した。スルタンは、さらにロシア人の聖地巡礼者とイスタンブール(コンスタンティノープル)でのロシアの外交使節団の為の自由な通行を許可した。
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