各工場・米ノ津港専用線(廃止)
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「出水駅」の記事における「各工場・米ノ津港専用線(廃止)」の解説
かつての国鉄時代は駅北側に構内専用線用のターミナルや貨車引き上げ線があり、そこから沿道の踏切を渡って駅北東側にあった出水製紙出水工場(1981年倒産。跡地は日立金属ネオマテリアル鹿児島工場(旧 株式会社NEOMAXマテリアル鹿児島→日立金属ナノテック)と大豊工業九州工場が建っている)、日本アルコール産業九州工場、共同石油・伊藤忠燃料(現 出水ガス)、鶏協飼料(現 マルイ飼料)の各工場への広大な専用線が敷かれていた。当駅では米ノ津港の港湾貨物輸送の取り扱いも行っていたため、駅構内からはさらにその先の米ノ津港に向けて国道447号線や国道3号線に沿い、米ノ津港の手前で国道3号の踏切を渡る形で港の岸壁に入る全長約5kmの長さの専用鉄道が敷かれており、それぞれ有蓋車、タンク車、ホッパー車などの貨車による原料や製品の輸送が行われていた。米ノ津港からは国鉄各駅だけでなく出水駅周辺の各工場への線内貨物列車の設定もあった。 しかし、出水製紙株式会社が1981年5月末に経営破綻した事で同年6月2日に出水工場が閉鎖され専用線が廃止されたのを手始めに、続いて米ノ津港専用線も1980年4月に川内港の大規模港湾事業施設が完成した事で1982年までに米ノ津港での港湾貨物取り扱いの大半が川内港に変更され、米ノ津港での港湾貨物事業が大幅に縮小されたため、1982年11月15日国鉄ダイヤ改正においてトラック輸送に切り替わる形で廃止された。その他に残った専用線も1984年2月1日国鉄ダイヤ改正の貨物取り扱い廃止に伴い全て廃止され、その際に側線や踏切などの施設もほとんどが撤去された。構内専用線の跡地は一部が肥薩おれんじ鉄道車両の留置線として使用されているほか引き上げ線の跡も残り、他の跡地も道路や田畑、農道、駐車場、住宅地などに転用されている。米ノ津港専用線の線路跡地は国道447号線や国道3号線の道路幅の拡張、住宅や店舗、工場用地、米ノ津港の整備などに転用されたため大半が跡形も無く消失しているが、現在でも出水駅近くの線路跡の一部(約2km)が農道として利用されており確認することができる。
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