矢頭教兼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 矢頭教兼の意味・解説 

矢頭教兼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 02:00 UTC 版)

矢頭 教兼(やとう のりかね、貞享3年(1686年) - 元禄16年2月4日1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士赤穂浪士四十七士の一人。通称右衛門七(えもしち)。四十七士の中では大石良金に次いで若年であり、母妹の世話に苦難したことで知られる。『仮名手本忠臣蔵』の佐藤与茂七(さとう よもしち)のモデルとなった。


  1. ^ 『忠臣蔵 四十七義士 全名鑑』199p (中央義士会、2007年)
  2. ^ 『水野家御預記録』
  3. ^ 源助は後に、愛知県岡崎市にある菩提寺「大林寺」に右衛門七の供養塔を立てて菩提を弔ったという。
  4. ^ 『商工まえばし』Vol.12「大蓮寺と赤穂浪士の母の墓」
  5. ^ 文化デジタルライブラリー 『歌舞伎・鶴屋南北』より「東海道四谷怪談」


「矢頭教兼」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「矢頭教兼」の関連用語

矢頭教兼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



矢頭教兼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの矢頭教兼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS