史実性と想定される場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 09:33 UTC 版)
「クヌート1世 (イングランド王)」の記事における「史実性と想定される場所」の解説
当時の『王妃エマ讃』には波の説話への言及がなく、この史料が「ローマに向かう途上にて、サントメールの僧院と貧者へのクヌートの惜しみない贈り物と、それに伴う涙と大袈裟な目撃談」を伝えているため、それは非常に敬虔な献身を記録したのであって、史実ではないことを示唆するとされる。 11世紀の聖人伝作家ゴスリン(英語版)は後にそれどころか、クヌートはウィンチェスターのある復活祭にて十字架の上に王冠を掛けたものの、海辺での実演や「イエスは彼よりもそれに相応しいと説明して」といった言及はなかったとしている。しかしこの話の裏には、「計画された敬虔な行為における事実の元」がある可能性を含む。 一方、オックスフォード大学のマルコルム・ガッデン(英語版)教授は説話を単に「それは12世紀の伝説であり、(中略)そして当時の歴史家らは、アングロ・サクソン時代の王に関する話を常にでっち上げていた。」としている。 説話の場所については、ロンドンの統治期にクヌートが王宮を建て、現在はウェストミンスターとして知られるソルニー島(英語版)と同一視されることもある 。それと矛盾して、サウサンプトン中心部のクヌート街(Canute Road)の標識には「西暦1028年のこの付近にて、クヌートは彼の臣下を窘めた」とある。ウェスト・サセックスのボシャム(英語版)やリンカンシャーのゲインズバラなどもその可能性として挙げられている。ゲインズバラは内陸部にあるため、説話が事実であればクヌートはトレントの海嘯(英語版)として知られる海嘯を押し戻そうとしたことになる。もうひとつの言い伝えによれば、当時マーシア王国の一部であったウィラル半島(英語版)の北岸だとしている。
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