史実上のコーンウォール公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:55 UTC 版)
「コーンウォール公」の記事における「史実上のコーンウォール公」の解説
コーンウォール公位は、エドワード3世の長男エドワード黒太子に対して1336年に創設された。エドワードがエドワード3世より先に死去した後、公位はその長男リチャード(後のリチャード2世)に対して再度創設された。1421年の勅令によると公位はイングランド王位の継承者である、王の最年長の男子にのみ相続される。 そのため王の長男が王より先に死去した場合、長男に男子、すなわち王の孫がいても公位を継承しない。長男に子供がいなかった場合は次男が公位を継承する。この継承規定により、王の孫は王位の法定推定相続人(ウェールズ公)であってもコーンウォール公にはならない。 例えば、ジョージ2世の孫ジョージ(後のジョージ3世)は、ウェールズ公ではあったがコーンウォール公ではなかった。 また、国王から宣下される必要があるウェールズ公や、授爵を受ける必要があるほかの貴族の爵位とも異なり、条件を満たす人物は自動的にコーンウォール公となる。 1856年、大蔵省の役人ジョージ・ハリソンは、コーンウォール公領は王権州(County palatine)であり、イングランドから治外法権にあってコーンウォールでの王権はコーンウォール公爵が持っている、と主張して認められた。 1969〜71年のイギリス政体に関するキルブランドン報告によれば、コーンウォールを行政区分(カウンティ)として扱う場合、公式文書では’’公領’’であるコーンウォールを’’伯領’’(カウンティ)と表記しないことが推奨されている。これは上述したコーンウォールの位置付けに基づく。 ウェールズ公チャールズと結婚したカミラ・パーカー・ボウルズは、ウェールズ公妃殿下ではなくコーンウォール公妃殿下の称号を使用している。
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