史上初の選手ストライキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:09 UTC 版)
「1972年のメジャーリーグベースボール」の記事における「史上初の選手ストライキ」の解説
この年のシーズン前に選手会とオーナー側との交渉が進まず、メジャーリーグ史上初の全球団選手が参加したゼネストに突入し、4月4日にシーズン開幕の予定であったのがストライキで9日間試合が行われなかった。3年前も春のキャンプをボイコットしたがペナントレースの公式試合を全球団選手がボイコットしたのはこの年が最初であった。 3年前に結んだ労使協定の改定時期を迎えて、前年秋から交渉に入ったが、年金基金への拠出金の増額と健康保険の財源問題が暗礁に乗り上げた。3年前の1969年のシーズン前に年金基金への野球機構からの拠出金を545万ドルにすることで妥結したが、今回は選手会が701万2,000ドルに増額を要求し、オーナー側は49万ドルの上乗せで594万ドルの回答をして合意に至らなかった。この時にマービン・ミラー事務局長は各球団を回り、全球団の選手たちとオーナー側が選手会の要求に応じない場合はストライキに突入することを確認していた。そして開幕直前の4月1日にオーナー側にストライキを通告した。メジャーリーグに5年在籍した選手は65歳になれば月額772ドル支給される、10年在籍すれば月額1,545ドル、15年在籍すれば月額1,745ドル、20年在籍すれば月額1,945ドルの支給額となっている。しかしこの時代は物価高でそれまでの545万ドルの拠出金だけでは賄いきれなくなることから選手会が強気に出た。しかし、一方で10万ドルを超える高額年俸の選手が続出していた中でのストライキでは、アメリカ国内の世論は必ずしも選手側を支持するものではなかった。カージナルスのオーナーがチーム力が低下しても高額年俸の選手を次々と放出したのは、年俸をアップしても次々と要求額が増えてファンが必ずしもかつてほど選手を敬愛はしていないと見ていたからである。カート・フラッド事件はその狭間で起こった事態であった。 結局連邦政府が仲介に入り、調停の結果どちらも決着が付かないまま9日間のストは終わり、その間に中止になった全86試合は後日行うこともなく、選手はスト参加で賃金をカットされて全く補填が無いまま4月15日にシーズン開幕となった。本来この時に結ぶ予定だった新しい労使協定は翌年2月28日に新しい団体労働協約として結ばれた。これで選手会は正真正銘の労働組合であることが証明され、マービン・ミラーにとって大きな勝利となった。この時に選手のトレードに関して、大リーグ歴10年の選手が同一チームに5年在籍した場合は、その選手の同意なしにトレードはできない権利が認められた。
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