史上初のナイター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:15 UTC 版)
「1935年のメジャーリーグベースボール」の記事における「史上初のナイター」の解説
1935年5月24日、シンシナティのレッドランド・パーク(クロスリー・フィールド)でメジャーリーグ初のナイトゲームが開催された。ナイトゲームは1893年にペンシルベニア州チェンバーズバーグ及びインディアナ州フォートウェインで行われた試合が最初の記録として残っていて、翌1894年にテキサス州ヒューストンでも行われている。いずれもマイナーリーグでの開催でその後は行われていなかったが、1929年の大恐慌の後の1930年にウエスタンリーグのディモインズ球団オーナーのリー・ケイザーが観客を呼び込む方策として夜間に試合を行うことを思いつき、不況とメジャーリーグの圧迫のために経済的な危機に直面していたマイナーリーグの各チームがことごとく夜間に移して試合を行い、期待通りの成果を挙げた。 これが当時シンシナティ・レッズのGMだったラリー・マクフェイルによってメジャーリーグでも実施されることになった。マクフェイルはブランチ・リッキーと大学時代の旧友であり、またマクフェイルを球界に引き入れたのもリッキーであった。カージナルスのマイナーリーグの球団経営に加わり、1933年にシンシナティ・レッズのゼネラル・マネージャーに就任すると、低迷する観客動員を改善するために思いついたのが、マイナーリーグ時代に実施したナイトゲームの開催であった。マクフェイルは1934年末のウインター・ミーティングでナイトゲーム開催の動議を出し、ナショナルリーグで年間7試合に限っての条件付きで認められた。それだけ他の大リーグ球団の反発が強く「電燈の下での野球」に対する違和感が根強かったことを示している。 そして5万ドルを投じてクロスリー・フィールドに8基の照明塔を設置し、1935年5月24日の夜にフランクリン・ルーズベルト大統領がホワイトハウス内に設けられたスイッチをonにして点燈された照明塔の下でシンシナティ・レッズ対フィラデルフィア・フィリーズの試合が開催された(試合は2-1でレッズが勝った)。観客は2万422人を集め、この年7試合開催したナイトゲームは平均1万8500人を集めたことで、最初は冷淡で乗り気でなかった他球団も競って照明設備を用意するようになった。当初の3年間は年間7試合しか認められず、全てシンシナティで行われたがやがて他球団もナイトゲームの開催に踏み切った。 ラリー・マクフェイルは、その後ブルックリン・ドジャーズ、そしてニューヨーク・ヤンキースのGMに就任している。
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