古典的用法としての「経世済民」「経済」とは? わかりやすく解説

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古典的用法としての「経世済民」「経済」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/26 06:28 UTC 版)

経世済民」の記事における「古典的用法としての「経世済民」「経済」」の解説

近世以前日本では、「経世済民」(あるいは経国済民)が一つ言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かったが、近世江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになったその背景には、明末清初中国発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、日本でも儒学者蘭学者などによる同種の経世論」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作一つ日本初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており、この頃の「經世濟民經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学政策学社会学などきわめて広範な領域カバーするものであった。 しかし江戸後期入って次第貨幣経済浸透すると「經濟」のなかでも社会生活を営むのに必要な生産消費売買などの活動」という側面強調されるようになっていった。海保青陵は、自著専ら現在と同じ意味で用いており、これは「経済」という語の早い例である。ただ青陵によると、当時大坂で「経済家といえば治政一般ではなく金銀の事」に詳しい者を指したと言い大坂商人の間では現代的な用法は既に常識的だったようだ19世紀前半正司考祺経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日用法に近い「經濟」が普及していた。以上のような用法変化は、明・清代中国俗語において、金銭財務関連する古典的用法異なる)用法広まったことの影響とする杉本つとむ見解もある。

※この「古典的用法としての「経世済民」「経済」」の解説は、「経世済民」の解説の一部です。
「古典的用法としての「経世済民」「経済」」を含む「経世済民」の記事については、「経世済民」の概要を参照ください。

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