古典的精神分析との違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 17:05 UTC 版)
「自己心理学」の記事における「古典的精神分析との違い」の解説
自己心理学では自我心理学や対象関係論とは異なり、精神分析で昔から使われてきた自我やイドや超自我という心的構造論、それにリビドーや攻撃性と言った欲動理論は補足的に使われるだけである。代わりにいくつかの自己に関する理論が以前の精神分析理論を補っている。その代表的なものとしては以下のようなものがある。 (1)患者それ自体を尊重する。つまり患者の「自己」というものを見る事によって精神病理を捉える。 (2)科学的心理学としての経験―観察的アプローチにこだわっている。言い換えると理論が先行するのではなく、臨床での観察が中心となる。 (3)古典的精神分析のように医者が中立性を守る科学者として患者を分析するのではなく、患者と分析家は切り離せないものとして考えている。これは患者と分析家を一つのユニットとして捉えているという事を意味する。 (4)共感という技法を使う。この共感は患者の自己を把握するという情報収集の役目と、患者に対して肯定的に接し続けるという二つの意味を持っている(共感の概念については誤解に注意!)。 (5)自己の障害や自己の病理ばかりを見るのではなく、自己の健康的な部分を見るように心掛けている。 神経症にしても精神病にしてもパーソナリティ障害にしても、自己心理学では、それらを自己の障害として見ている。そのため自己心理学では第一に「自己」を観察する。医師は「自己」がどのように壊れているのか、またどのような欲求を持っているのかを探索していく。
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