古代中国の「地動説」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:02 UTC 版)
古代中国においても、独特な「地動説」が存在した。『列子』の「杞憂」の故事の原文には「われらがいる天地も、無限の宇宙空間のなかで見れば、ちっぽけなものにすぎない」(夫天地、空中一細物)とあり、当時すでに宇宙的スケールの中では「天地」でさえ微小な存在だという認識があったことがわかる(ただし、古代中国人は「天地」が実は「地球」であることを知らなかった)。漢代に流行した「緯書」でも、素朴な地動説が散見される。たとえば『春秋』にこじつけた緯書には「天は左旋し、地は右動す(天左旋、地右動)」、「地動けば則ち天象に見(あら)わる(地動則見於天象)」とある。『尚書』(書経)の緯書に載せる「四遊説」は、大地は毎年、東西南北および上下に動いているという奇怪な地動説であるが、「大地は常に移動しているのだが、人間は感知できない(原文「地恒動不止、人不知」)。それはちょうど、窓を閉じた大船に乗っている人には、船が動いていることが知覚できないようなものだ」とあわせて説いている点が注目される。唐の柳宗元も、こうした中国独特の地動説をふまえて漢詩を詠んでいる(「天対」)。上述のとおり、西洋の Heliocentrism(太陽中心説。現代中国語では「日心説」)の訳語として「地動説」は不適切であるとする意見もある。古代中国の「地動説」は、Heliocentrism とは異質の宇宙観ではあるものの、「地右動」「地動則見於天象」「地恒動不止」など明確に「地動」を説く、文字通りの地動説であった。
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