受賞に伴う騒動と余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 16:15 UTC 版)
会社で電話により受賞の報が伝えられたとき、「Nobel」「Congratulation」という単語を聞きながらも似たような海外の賞と思ったり、同僚による「ドッキリ」(ドッキリカメラの意)と思っていたりしていた。その後会社の隔離室に移動させられ、午後9時から報道陣が大挙して押し寄せた会見に臨むことになった。急な話だったので、背広の用意もヒゲを剃ることもできなかった。なお、普段から白髪を染めていたが、受賞発表の1週間程前に理髪店で染め直していた。 田中は鉄道好きで、電車(京福電鉄嵐山線(嵐電))の運転席を眺めながら通勤することを日課としていたが、その晩は家に帰れず、タクシーでホテルに向かった。受賞を実感したのは翌日の新聞で自分の顔を見てからと語っている。また、ノーベル賞受賞後の出張時には、島津製作所からの出張費の関係で乗車できなかった500系新幹線のグリーン車に乗れて嬉しいと記者団に答えた。 多くの講演やインタビューを受け、研究や技術者としてのあり方について自身の経験と持論を語った。内閣府の総合科学技術会議にも参加し、日本の科学政策に影響を与える存在にまでなっている。なお、ノーベル賞の授賞式の後は単独でマスメディアに出ることはほとんどなかったが、2010年(平成22年)10月6日に鈴木章・根岸英一のノーベル化学賞受賞が決まった際には勤務先で会見に応じ、発表の生中継を見ていたことを明かした上で、「受賞から8年経ち、次々と受賞者が出てきて、私自身、肩の荷を下ろすことができるのかと思う」と述べた。
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