反革命分子とされるとは? わかりやすく解説

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反革命分子とされる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:21 UTC 版)

胡風」の記事における「反革命分子とされる」の解説

1952年文芸整風運動一環人民日報批判された。この時はまだ罪に問われたわけではなく1953年には作家協会常務理事選出されている。 1954年9月台湾亡命していた作家胡適批判されいわゆる胡適思想批判始まった。これに関連して胡風は『文芸報』編集部や党の文化官僚批判、さらに袁拍や周揚胡風反論した一連の動き見た毛沢東胡風反革命分子認定1955年5月16日逮捕された。志、路翎、牛漢らの仲間罪状明らかにされず次々と逮捕あるいは監禁された。彼らは「胡風反党集団」と呼ばれた逮捕命じたのは羅瑞卿、その罪は郭沫若により「反革命」とされた。その後蒋介石スパイ、あるいはその協力者判定された。ただしこれは冤罪であった。というよりも、中国共産党による後付け理由である。この際逮捕された者は92人、調査された者は2千人以上に昇った。このうち公式に胡風集団認定されたものは78名、このうち免職労働教育下放労働などの処理を受けた者は61名だった。 胡風らは政治犯監獄である秦城監獄(zh)に収監された。このうち、罪が軽いとされた者は1年ほどで釈放されたが、一方、阿壠、賈植芳、耿庸など罪が重いとされたものは1960年代後半まで収監された。胡風自身10年入獄し10年目懲役14年判決下った。さらにその後無期懲役切り替えられた。 胡風らが逮捕された後、中国文芸関係者はこの事件に関する意見書を出すことが義務付けられた。そこで沈黙することは許されず、胡風らを批判することしか許されなかった。胡風らを擁護した者は獄に入れられた。このため呂熒は1年間軟禁され、さらに文化大革命で再び収監され獄中死亡した。もっとも、大多数文芸関係者表面上は胡風批判することで、その地位保った毛沢東1956年4月25日、『十大関係を論ず』(zh)で「胡風問題」について「(胡風のような反革命分子ゴミであり、害虫であるが、捕まえた以上は殺さず人民のために働かせるべきだ」(反革命廃物,是害虫,可是抓到手以後,卻可以譲他們給人民辦点事情。)と述べている。

※この「反革命分子とされる」の解説は、「胡風」の解説の一部です。
「反革命分子とされる」を含む「胡風」の記事については、「胡風」の概要を参照ください。

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