反西洋主義・英雄的犠牲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
ドイツが第一次世界大戦で敗北すると、敗北は「西洋化」が社会を腐食した結果だとする意見が、ドイツ知識人の中から出てきた。例えば、エルンスト・ユンガーの弟であるフリードリッヒ・ゲオルク・ユンガーはその一人である。ユンガーは『戦争と戦士』というエッセイの中で、ドイツが大戦に負けたのは「文明、自由、平和」などの西洋的価値観を受け入れ、あまりにも「西洋の一部」になってしまったからだと主張した。 この論旨からすると「文明、自由、平和」は、民族・国家・宗教の「潜在的な偉大さ」を蝕み、快適主義を招く。その結果、「有機体としての社会」は衰弱し腐敗する。より若く純粋で活発な共同体を再生するには、「破壊と人間の犠牲」が必要になる。アプトが書いたように、若者は「血管から、苦しむ父なる祖国へ血液を注ぎ、祖国の大地がそれを吸い取り、再び生きていけるように」しなければならないとされた。 1920年代~1930年代のドイツナショナリズムは、西洋を古めかしくて軟弱、利己的で浅はかな守銭奴とする見方が顕著である。そして若者は「鋼鉄の嵐」の中、自己犠牲によってのみ、西洋の凡庸さから救われるとされた。
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