反教団事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:23 UTC 版)
出口直日が教主のころは、第二次大本事件で徹底的な弾圧を受けた大本が復興すると同時に、分派が起きた時代でもある。 直日の長女・出口直美の夫・出口栄二(大本総長・当時。旧姓、家口。有栖川宮熾仁親王の公認の落胤を母に持つ)は左翼思想に傾倒し、社会主義こそ「みろくの世(理想世界)」と、大本の本来の教えから大きく外れた思想を持つとともに、政治的色彩の強い活動を行い始めた。 それに対し、直日は「大本の平和運動は、右によらず左によらず、右をも左をも平和の大道に活かしうるものでなければなりません。大本には大本としての平和運動があるはずです」と諭すなど、特定の思想に偏らないよう再三の指導を行った。 しかし、出口栄二は忠告を無視して、その指導に抵抗し、求められる誠実に反する。直日は最後の最後まで忍耐をもって正しい信仰のあり方を教え諭したが、出口栄二は聞き入れず、教主の神性を、根本的に否定して大本の神業を甚しく阻害。ついには大本教団を告訴するに至った。 大本信徒、また社会へ与える混乱をこれ以上看過することは出来ず、直日は、それに同調した長女・直美の教主継承を取り消し、三女・聖子を大本四代教主とした。 1990年、直美・栄二夫妻は大本を離脱して反教団団体「大本信徒連合会」を結成した。同時期に出口和明(母は王仁三郎三女)を中心とする派閥が大本から独立して「愛善苑」を結成した。
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