反政府闘争期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 16:01 UTC 版)
1968年後半、ケオ・メアスはハノイに旅立ち、カンボジアにおいて進行中の党の闘争に対し、亡命共産党指導部からの支援を求めた。彼は古参指導者ソン・ゴク・ミンおよびベトナムの当局者と会談したが、シハヌーク体制に対する武装蜂起の支援へと動かすことはできなかった。シハヌークに対し、ベトナムは「より小さな悪」と考えていたためである。またメアスは、1969年にポル・ポトがハノイと北京を訪問した際、これに同行していたと思われる。ポル・ポトのカンボジア帰還時、ケオ・メアスはハノイにおり、ポル・ポトの旅程を手配したのはケオ・メアスであった。メアスはしばらくハノイに留まった 1970年3月にクーデターで追放されたシハヌークは、5月に北京において「カンボジア王国民族連合政府」を樹立。ケオ・メアスは王国民族連合政府の在中国大使に任命されたが、1972年3月までにはこの地位を失い、ハノイに移った。ハノイでは、イエン・チリトの監督下で働くことになった。
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