参拝の奨励・強要と神社参拝拒否運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 17:15 UTC 版)
「朝鮮神宮」の記事における「参拝の奨励・強要と神社参拝拒否運動」の解説
朝鮮神宮(日本の絵葉書より) 朝鮮神宮の建立以降、朝鮮総督府は「皇民化政策の一環」として神社参拝を奨励し、各家庭での神棚設置と礼拝を奨励した。さらに日中戦争が始まった1937年(昭和12年)以降になると、神社参拝を奨励した。 この頃には、日米関係の悪化も関係しており、朝鮮のキリスト教徒に対する圧力も強まっていた。それまで植民地統治下にあって、キリスト教会内部だけは比較的、表現と集会の自由が容認されていた。これは堤岩里事件を引き起こしたことに対して、欧米から強く非難されたためであった。 カトリック教会への圧力が強まる中、1939年(昭和14年)には長老派教会が警察官立ち会いの下で神社参拝を決議した。これに反対した約2000人の牧師・教徒が、検挙・投獄された(神社参拝拒否運動)。この際、日本基督教団は神社参拝に反対する朝鮮の教会に赴き「国家の祭祀を要求することは改宗を迫るものではない」という趣旨で、反対派牧師たちを説得している。神社参拝拒否運動は、200あまりの教会が閉鎖されるという結末を辿った。
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