厩務員からの転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 00:28 UTC 版)
厩務員だった森田が調教師を志したきっかけは、福島信晴厩舎に所属していた時期に、全国競馬労働組合から独立した組合「21世紀」の組合長が「調教師試験を受けてみろ。これからは助手からもバンバン受かる時代が来る」と全組合員に対して述べた言葉であった。ただし、調教師試験の受験まで辿り着いた厩務員は森田ただ1人で、40~50人いたという同志は勉強が続かず脱落していった。体重の増加で重い時は約70kgに達し、オレンジ帽(調教厩務員)時代に福島師から「もう乗らんでいい」と言われていたため、調教助手を経ての受験は選択肢から外れていた。 森田は受験期について、「最初の3年ほどは適当にやっていた。でも、時間の無駄だし、本腰を入れて勉強したら5回目に1次試験を受かってね。当時の公正室長に『厩務員から受かりますかねぇ』って相談したら『関係ないから頑張れ』って。それでやる気が出た」と振り返っている。仕事中も勉強したメモをポケットに入れたり、携帯電話に保存した競馬法規を読んだり、「風呂と食事以外は勉強していた」という生活を続けた。 2011年5月には妻をガンで亡くし、受験を断念することも考えたが、公正室長の励ましや、後押しをしてくれていた妻の思いに背中を押され、受験を継続。翌年、11回目の挑戦で悲願の合格を果たした。 厩舎の理念は『馬を壊さず鍛える』。調教方針はかつて所属した松田博資厩舎のスタイルを受け継ぎ、ハードな調教を実施している。ハードな調教には故障のリスクがついて回るため、松田と同様に、朝一番に全馬の脚元や歩様をチェックして、運動に出る前も歩様を見て送り出すことを日課にしている。
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