博物館への夢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:19 UTC 版)
岡田は図書館設立と共に、以前から函館に博物館を建てることも夢見ており、社会教育施設として図書館と博物館の活動の連携を理想としていた。1909年には後に北方民族研究の世界的な権威者となる馬場脩の提唱を受けて「函館考古会」を結成し、遺跡発掘や資料収集のための場とした。 1935年(昭和10年)には博物館建設に向けて具体的な活動に乗りだし、図書館内に函館博物館建設期成同盟を設け、博物館建設のために会員の募集を開始した。函館図書館発行による図書館報『市立函館図書館多与利 』では博物館の標本と図書との連絡活用の重要さを力説しており、1940年(昭和15年)には『函館日日新聞』において、説明より実物を見せることによる直感教育の観点においても博物館の存在が重要であることを説いている。 その後も岡田は地元の新聞や図書館報において、博物館の必要性を訴え続けた。しかし時代はすでに戦中であり、戦争の激化に連れ、次第に博物館の実現は困難となった。結局、岡田の存命中にこの夢が叶うことはなく、博物館完成は岡田の没後、1951年(昭和26年)を待つことになる。
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