南浜町 (石巻市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 15:32 UTC 版)
南浜町 | |
---|---|
町丁 | |
![]() 「がんばろう!石巻」の看板 | |
北緯38度25分4.316秒 東経141度18分7.641秒 / 北緯38.41786556度 東経141.30212250度座標: 北緯38度25分4.316秒 東経141度18分7.641秒 / 北緯38.41786556度 東経141.30212250度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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地域 | 本庁地域 |
地区 | 石巻地区 |
人口情報(2025年(令和7年)2月末[1]) | |
人口 | 0 人 |
世帯数 | 0 世帯 |
設置日 | 1966年(昭和41年) |
郵便番号 | 986-0835[2] |
市外局番 | 0225(石巻MA)[3] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード | 04501-0220[4] |
町字ID[5] |
0046001(南浜町一丁目) 0046002(南浜町二丁目) 0046003(南浜町三丁目) 0046004(南浜町四丁目) |
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南浜町(みなみはまちょう)は、宮城県石巻市にある町丁で南浜町一丁目から南浜町四丁目を擁し、住居表示を全域で実施済[6]。石巻市門脇字後谷地・門脇字善海田・門脇字土手東西・門脇字原田・門脇字浜の各一部に相当する。郵便番号は986-0835[2]。
概要

石巻市の中心部に位置しており、雲雀野町や門脇町とともに石巻南浜津波復興祈念公園として整備されている。東日本大震災で深刻な被害をうけ、罹災後は以前の賑わいの面影が見えないまでに被害を受けた。
地価
2022年(令和4年)1月時点での南浜町での平均地価は21,000円/m2(71,000円/坪)になっている[7]。
歴史


明治時代から大正時代のとき、当域では新田開発が盛んになり、湿地と耕作地(主に水田と桑田)が混在しており、家屋はほとんどなかった[8]。
昭和時代になると開発が進み、1938年には東北振興パルプ(現在の日本製紙の前身)が石巻に工場を建設したのを機に社宅を当域に建設したり、近隣に漁業関連施設や貨物鉄道画整備されたりした[8]。
高度経済成長期に差し掛かると、石巻市は工業都市として発展し始め、住宅地としての需要が増し、日和大橋の開通に伴い交通網も発展して開発は一気に加速していった[8]。
沿革
ここでは南浜地区(おおよそ日和山の麓)の沿革を述べる[8]。
- 1873年 - 門脇小学校が開校
- 1935年 - 雲雀野地区の一部が南地と命名される
- 1940年 - 東北振興パルプ石巻工場操業開始
- 1959年 - 土地区画整理事業開始
- 1960年 - 人口が激増する
- 1966年5月1日 - 南浜町に改名
- 1967年
- 土地区画整理事業終了
- 石巻工業港が開港
- 1979年 - 日和大橋開通
- 2011年 - 東日本大震災にて壊滅的被害を被る
施設
- 石巻南浜津波復興祈念公園
- みやぎ東日本大震災津波伝承館(南浜町2丁目1-56)
- 「がんばろう!石巻」看板(南浜町3丁目1-28)
- 東日本大震災メモリアル 南浜つなぐ館(南浜町3丁目1-1)
- 善海田稲荷神社(南浜町2丁目8)
- 南浜町の施設
-
「がんばろう!石巻」
-
「がんばろう!石巻」と語り部
-
南浜つなぐ館
-
南浜つなぐ館の屋内
-
みやぎ東日本大震災津波伝承館
交通
道路・橋梁
- 宮城県道240号石巻女川線
- 石巻市都市計画道路門脇流留線[9][10]
- 市道南浜1号線[10]
- 市道南浜2号線[10]
バス
小・中学校の学区
南浜町の小・中学校の学区は以下の通りである[12][13]。
町丁 | 字・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
南浜町 | 全域 | 石巻市立石巻小学校 | 石巻市立石巻中学校 |
人口
2025年(令和7年)2月末時点での南浜町の人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数〔世帯〕 | 男〔人〕 | 女〔人〕 | 計〔人〕 |
---|---|---|---|---|
南浜町一丁目 | 0 | 0 | 0 | 0 |
南浜町二丁目 | 0 | 0 | 0 | 0 |
南浜町三丁目 | 0 | 0 | 0 | 0 |
南浜町四丁目 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 |
東日本大震災
南浜町での東日本大震災の震度は概ね6弱であったと推測され、域内の犠牲者は218人(石巻市内で2番目に多い犠牲者数)で場所によっては7m以上の津波が押し寄せた[14][15][16]。
また、域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[17]。
世代と性別 | 犠牲者 | 死亡率 | 当時の人口 |
---|---|---|---|
男性 | 99 | 8.01% | 1236 |
女性 | 119 | 8.51% | 1398 |
15歳未満 | 9 | 2.81% | 320 |
15-64歳 | 85 | 5.45% | 1560 |
65歳以上 | 124 | 16.56% | 749 |
合計 | 218 | 8.28% | 2634 |
関連項目
脚注
- ^ a b “人口・世帯数(最新版)”. 石巻市. 2025年3月14日閲覧。
- ^ a b “郵便番号簿PDF(2024年度版) - 宮城県” (PDF). 日本郵便. 2024年11月20日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年11月9日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2025年2月17日閲覧。
- ^ “住居表示申請について”. 石巻市 (2022年4月6日). 2024年2月27日閲覧。
- ^ “南浜町の価格相場 石巻市”. ウチノカチ. 2022年1月29日閲覧。
- ^ a b c d “石巻市南浜地区復興祈念公園(仮称)基本構造 参考資料”. 宮城県 (2014年3月). 2021年3月15日閲覧。
- ^ 都市計画課都市整備班 (2022年2月25日). “都市計画道路門脇流留線門脇工区の供用開始について” (PDF). 宮城県. 2022年5月3日閲覧。
- ^ a b c “第182回宮城県都市計画審議会 参考資料”. 宮城県. 2016年10月閲覧。
- ^ “石巻市中心図路線バス案内”. 石巻市. 2021年3月17日閲覧。
- ^ “小学校学区一覧”. 石巻市. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “中学校学区一覧”. 石巻市. 2021年3月17日閲覧。
- ^ 後藤洋三「石巻市門脇・南浜地区の事業所と住民の津波避難行動」『土木学会論文集A1(構造・地震工学)』第71巻第4号、土木学会、2015年、I_930-I_942(図-4, 図-5)、doi:10.2208/jscejseee.71.I_930、NAID 130005100279、2021年4月1日閲覧。
- ^ 谷謙二「小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布」『埼玉大学教育学部地理学研究報告』第32号、埼玉大学教育学部地理学研究室、2012年、1-26頁、doi:10.24561/00016186、ISSN 0913-2724、NAID 120006388016、2021年4月1日閲覧。
- ^ “石巻市 東日本大震災による津波浸水域図”. 石巻市. 2021年2月23日閲覧。
- ^ “2 災害状況の整理(東日本大震災の災害検証)”. 石巻市. 2021年3月17日閲覧。
参考文献
- 南浜町_(石巻市)のページへのリンク