南北戦争での任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 04:14 UTC 版)
「アール・ヴァン・ドーン」の記事における「南北戦争での任務」の解説
ヴァン・ドーンはその出身州とアメリカ連合国に従うことを選択し、アメリカ陸軍を除隊し、1861年1月31日付けで認められた。1月23日にはミシシッピ州民兵隊の准将に指名され、ジェファーソン・デイヴィスがアメリカ連合国の大統領に選ばれた2月に、デイヴィスに代わってミシシッピ州兵隊の少将と指揮官になった。 1861年3月16日にミシシッピ州兵隊を辞任し、南軍の歩兵隊大佐として入隊した。4月から8月はテキサス方面軍における志願兵旅団を率いるために西部に派遣された。ガルベストンに到着すると、ヴァン・ドーンとその部隊は町の港で3隻の北軍艦船の捕獲に成功した。続いてインディアノーラに最後まで残っていた正規兵部隊に向かい、これを降伏させた。さらにテキサスのアメリカ軍(北軍)指揮官デイビッド・E・トゥイッグスの降伏で北軍の物資、設備および兵士を受け入れた。 ヴァン・ドーンはリッチモンドに呼びつけられ、4月25日に第1アメリカ連合国正規騎兵隊の大佐に指名され、バージニア州の騎兵隊全てを率い、続いて直ぐの6月5日には准将に昇進した。1861年9月19日に少将に昇進した後、5日後にはポトマック軍の師団指揮官となり、1862年1月10日まで第1師団を率いた。この頃にデイヴィス大統領は新しいミシシッピ圏地区軍の指揮官を必要としていた。そこにはスターリング・プライスとベンジャミン・マカロックというライバル関係にある2人の将軍がおり、彼等の強い個性を抑え、効果的に戦える軍隊を作る必要があった。ヘンリー・ヒースとブラクストン・ブラッグの2人の将軍もその職を辞退したので、デイヴィスはヴァン・ドーンを選んだ。ヴァン・ドーンは西部に向かい、9月19日から分かれていた部隊を集結させ、アーカンソー州ポカホンタスに作戦本部を置いた 1862年1月29日にこの地区の指揮官に就いた。。
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