南イタリアの経済政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 09:45 UTC 版)
「フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「南イタリアの経済政策」の解説
オートヴィル朝時代から地中海交易の要地であったシチリア島を領有するフリードリヒ2世は、南イタリアでは積極的な経済政策を打ち出し、貨幣収入を軍事と施策に充当した。 南イタリアの収入源は、自治を制限した南イタリア諸都市からの徴税と、ジェノヴァ、ヴェネツィア、ピサなどの北イタリアの貿易都市の商人からの融資だった。年ごとに徴収される直接税、新たに制定された間接税が国庫に収入をもたらした。他方、北イタリア貿易都市がシチリアの港で有していた特権を廃して国家貿易に着手し、オートヴィル朝以前の王権や東ローマ帝国の類似の制度をもとに、産業の独占を行い、収入の増加を図った。また、フリードリヒはシチリア統治の初期時代から収入を商人からの借金の返済に充てており、治世末期には財政の大部分を商人からの借金に依存する構図が完成していたと考えられている。 しかし、国庫収入の増大を目指したフリードリヒの政策は長期的な経済発展には直結せず、農業の疲弊と都市経済の停滞をもたらした側面もある。都市工業の衰退と北イタリア商人の台頭の結果、南イタリアに北・中部イタリアから製品を輸入し、食料と原材料を輸出する経済構造が確立された。
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