南イタリアにおけるイスラム軍との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 16:27 UTC 版)
「ロドヴィコ2世 (イタリア王)」の記事における「南イタリアにおけるイスラム軍との戦い」の解説
839年以降、南イタリアのベネヴェント侯国では継承争いが起こり、その際に傭兵として雇われたイスラム教徒がバーリにイスラム教国を樹立した。846年にはイスラム軍によるローマへの侵入と略奪が起こり、ロドヴィコはイタリアへのイスラム勢力の侵入に対処せねばならなくなった。847年にイスラム教徒をベネヴェントから追い払い、849年にはロドヴィコの調停によりベネヴェント侯国が分割されることでベネヴェント継承問題は解決したが、その後も南イタリアに侵入するイスラム軍との戦いに追われた。871年にはイスラム勢よりバーリを奪還したものの、南イタリアに侵入するイスラム軍に対処するため東ローマ帝国の協力を必要としたために、873年南イタリアにおける東ローマ皇帝バシレイオス1世の宗主権を認めることとなった。
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