南イタリアでの作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 05:09 UTC 版)
「イタリア侵攻 (第二次世界大戦)」の記事における「南イタリアでの作戦」の解説
1943年9月3日、ベイタウン作戦において、バーナード・モントゴメリー大将指揮下のイギリスカナダ混成軍であるイギリス第8軍がイタリア本土に上陸した。上陸に対する抵抗は弱く、海岸線17マイルを防衛しているドイツ軍の連隊を残して、イタリア軍の部隊は即座に降伏した。アルベルト・ケッセルリンクとそのスタッフはカラブリアの上陸作戦が連合国の主作戦であるとは信じていなかった。論理的にはサレルノの地域や、ローマの北の地域がより攻撃地点として考えられた。彼は、トロウゴット・ヘル大将の第76装甲軍団に第8軍との交戦を避けて撤退しつつ、橋の破壊などで第8軍を遅延させるように命じた。このように、モントゴメリーの作戦への反対は正しいことが証明された。第8軍は戦闘を避けるドイツ軍と交戦することができず、主な障害は、地形とドイツ軍による道路や橋の破壊であった。9月8日まで、ケッセリングはハインリヒ・フォン・フィーティングホフの第10軍を集結させ、連合国の上陸に対して迅速に対応可能とした。 主侵攻作戦の前、9月8日にイタリアの降伏が連合国に発表され、イタリア軍は戦闘を中止し、海軍は降伏のため連合国の港へ向かった。しかし、イタリア国内のドイツ軍はその様な事態への準備ができていて、イタリア軍を武装解除し、重要な防衛地点の占拠を行った。 スラップスティック作戦は9月9日に行われた。ターラントにイギリス第1空挺師団が上陸した。前日にイタリアが降伏し、その地域には少しのドイツ軍しかいなかったため、イギリス軍は、上陸用舟艇などで無く、軍艦から直接港へ上陸を行った。抵抗はほとんど無く、町と港はすぐに占領され、損失はほとんど生じなかった。
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