千歳線就航、新空港建設へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:32 UTC 版)
「紋別空港」の記事における「千歳線就航、新空港建設へ」の解説
1988年(昭和63年)11月、遠紋圏12市町村が「オホーツク紋別空港整備促進期成会」を結成しジェット化や東京線就航など整備促進運動を開始した。1989年(平成元年)5月1日にJR名寄本線が廃止されたことから航空路線はますます重要となった。加えて紋別市など一部自治体では、住民を対象にほぼ半額となる助成を行ったところ乗客数は右肩上がりとなった。ANKはこれを受けて1990年(平成2年)8月1日より千歳線を開設。丘珠→紋別→千歳→紋別→丘珠の機材繰りで、千歳から各地への乗り継ぎも容易となった。住民助成を行っていなかった町村でもこれを機に始め、路線維持や利用率向上を目指しジェット化への下準備とした。 1991年(平成3年)11月29日に発表された第6次空港整備五箇年計画に新紋別空港建設が盛り込まれた。紋別空港は湖に挟まれて拡張が難しいことから、元紋別と小向に跨った国道238号・国道239号沿いに新設移転することとなり、1994年(平成6年)に建設を開始した。ジェット化へ向けて好調な利用率を維持したいところであるが、この頃にはすでにバブル景気は崩壊しており、後のアジア通貨危機や高速道路建設など道路状況の改善による自家用車移動の増加などが影響し徐々に低下していった。1996年(平成8年)8月には紋別市・滝上町と札幌市を結ぶ高速バス路線が開設されたことにより、運賃の高い航空便は敬遠され、1997年(平成9年)は丘珠線が35.6 %、新千歳線が43.5 %にまで低下した。新千歳線は1998年(平成10年)1月8日から運休となり、流氷観光期の2月から再開されたものの4月30日の運航をもって休止されている。
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