千代田線用4次車(1969 - 1970年製)
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「営団5000系電車」の記事における「千代田線用4次車(1969 - 1970年製)」の解説
5039 - 5048号・5315 - 5334号・5677 - 5686号・5839 - 5848号 1969年(昭和44年)12月の初期開業区間(北千住 - 大手町間)用として3両編成10本が製造された。その後、輸送力増強のために中間車10両(2両を5編成分)を製造し、同線は1970年(昭和45年)12月14日から5両編成化された。 なお、千代田線の車両搬入は当初から綾瀬検車区にて実施され、未開業の綾瀬 - 北千住間は国鉄常磐線を使用する形で入出庫を実施していた(同区間は常磐線高架化工事のため、営団地下鉄が国鉄に貸与していた)。 1970年(昭和45年)10月から綾瀬検車区で1回目の定期検査(当時綾瀬工場は未完成)を実施し、合わせて国鉄常磐線乗り入れ対応改造を施工した。内容は前述の車内信号表示器の改造のほか、10両編成時の先頭車となる車両に国鉄形列車無線装置、信号炎管の搭載などが実施された。また、この時に前面の識別帯を115 mm幅から530 mm幅に拡大した。 1971年(昭和46年)3月20日の大手町 - 霞ケ関駅間開業時に千代田線は10両編成運転を開始した。この時に6000系車両が営業運転を開始するとともに、本形式は5両編成を2本を連結して10両編成化された。
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