十字軍遠征までの経緯とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 十字軍遠征までの経緯の意味・解説 

十字軍遠征までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:42 UTC 版)

十字軍」の記事における「十字軍遠征までの経緯」の解説

トルコ人イスラム王朝であるセルジューク朝アナトリア半島占領され東ローマ帝国ビザンツ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノス在位1081年-1118年)が、ローマ教皇ウルバヌス2世救援依頼したことが発端1095年)。このとき、大義名分として異教徒イスラム教国からの聖地エルサレム奪還訴えた皇帝アレクシオス要請したのは東ローマ帝国への傭兵の提供であり、十字軍のような独自の軍団ではなかった。 ウルバヌス2世1095年11月クレルモン行われた教会会議クレルモン公会議とも)の終わりに、集まったフランス騎士たちに向かってエルサレム奪回活動参加するよう呼びかけた。彼はフランス人たちに対して聖地イスラム教徒の手から奪回しようと呼びかけ、「乳と蜜流れ土地カナン」という聖書由来表現をひいて軍隊派遣訴えた。 なお、本項では十字軍回数を8回とする。解釈によってその回数には差異がある。第1回から第4回まで多く歴史記述で共通であるが、たとえば第5回1218年-)を数えない説があったり、第6回1228年-)は破門され神聖ローマ皇帝による私的な十字軍フリードリヒ十字軍)として数えない例もあった。1270年聖王ルイ出征まで8回(または7回)とすることが多いが、異論もある。 なお、回数名付けられている主要な十字軍の他、個々諸侯手勢引き連れて聖地遠征する小規模な十字軍多く存在したまた、巡礼聖地到着した騎士兵士現地イスラム勢力との戦闘参加するのも、聖地そのまま住みついた騎士らや聖地生まれ育った遠征軍末裔らが作る十字軍国家継続的にイスラム諸国と戦うのも、十字軍である。その他、第1回十字軍時の庶民十字軍少年十字軍羊飼い十字軍などの大小民衆十字軍起こっている(大部分聖地にたどり着けていない)。

※この「十字軍遠征までの経緯」の解説は、「十字軍」の解説の一部です。
「十字軍遠征までの経緯」を含む「十字軍」の記事については、「十字軍」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「十字軍遠征までの経緯」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「十字軍遠征までの経緯」の関連用語

1
4% |||||

十字軍遠征までの経緯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



十字軍遠征までの経緯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの十字軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS