十勝丸・渡島丸の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
「石狩丸 (初代)」の記事における「十勝丸・渡島丸の概要」の解説
この2隻は1946年(昭和21年)10月と12月に起工し、翌々年の1948年(昭和23年)4月と7月に就航した。両船ともデッキハウスを持たない車両渡船で、ボイラーも過熱器付きに戻り、戦時標準品ではない高低圧2筒式タービンを採用し、プロペラも互いに外転する通常の形に戻され、船底も二重底とされた。主発電機は50kVA 3台と、当時の W型青函丸やH型石狩丸の新造時の50kVA 2台より増強されていたが、終戦間もないこの時期製造の機械部品は材質、工作とも依然不良で、後年取り換えられたものも多かった。旅客設備はないため、救命艇はW型H型の元設計に戻り、船橋楼甲板船尾寄りの両舷に1隻ずつ懸架された。 新造時の車両積載数は、石狩丸同様ワム換算42両とされたが、1952年(昭和27年)には、これも石狩丸同様ワム換算44両積載可能とされていた。 なお、石狩丸・十勝丸・渡島丸の3隻をH型船、または石狩丸型と呼ぶのが正式ではあるが、戦後新造のH型船 十勝丸・渡島丸の2隻を十勝丸型と呼ぶこともあれば、この2隻に戦後新造のW型船 北見丸・日高丸の2隻を加えた4隻をまとめて北見丸型と呼ぶこともあり、またデッキハウスを造設した石狩丸・第六青函丸・第七青函丸・第八青函丸・第十一青函丸・第十二青函丸の6隻をデッキハウス船と呼ぶこともあった。
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