十一面仲山観音堂とは? わかりやすく解説

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十一面仲山観音堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:40 UTC 版)

東漸寺 (古河市)」の記事における「十一面仲山観音堂」の解説

本堂から約500m北西離れた場所には、仲山観音堂がある。仲山観音堂は、奈良時代天平11739年)年に鑑真和尚下野国薬師寺から十一面観音像持ち込み安置開山したとされるその昔仲山観音堂周辺には湿地帯広がり巡礼には船が利用されていた。湿地帯地盤弱かったため、大雨などによる洪水被害が度々発生したその後周辺地域干拓宅地化が行われ、本堂現在の東漸寺本堂の場所へ移し観音堂石仏のみが残された。観音堂木造平屋建宝形造銅板葺・桁行3間・梁間3間・正1間向拝付・向拝欄間には龍・木鼻には獅子彫刻外壁弁柄色基調としている。猿島坂東三十三観音霊場第8番札所であり、観音堂祀られている十一面観音像巳年御開帳される。また御開帳期間の中廻向(中日)には、本堂から仲山観音堂まで稚児行列が行われる。 仲山観音堂境内には、「倶利伽羅不動」と呼ばれる龍を彫った石仏がある。観音堂前に湧水池があり、干ばつ時には池の綺麗にして雨乞い祈念すると、たちまち降ってきたという雨乞い信仰があったことから、水神として石仏造られたと考えられる。なお、現在の湧水池観音堂右手の場所に移設されている。観音堂の裏手には、「仲山観世音古墳」と呼ばれる直径20m、高さ3m円墳があり、古くから霊地とされてきたことが考えられるまた、孫のために日参行なっていた祖母母乳出たという伝説があり、安産子育て母乳祈願ご利益があるとされる

※この「十一面仲山観音堂」の解説は、「東漸寺 (古河市)」の解説の一部です。
「十一面仲山観音堂」を含む「東漸寺 (古河市)」の記事については、「東漸寺 (古河市)」の概要を参照ください。

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