十一試艦上爆撃機から一一型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 16:50 UTC 版)
「九九式艦上爆撃機」の記事における「十一試艦上爆撃機から一一型」の解説
当初海軍から試作の下命を受けたのは、中島飛行機・三菱航空機・愛知航空機であったが、三菱は早期に開発を断念し、中島と愛知が開発競争を行った。十一試艦上爆撃機では実用化に向けて堅実な設計が求められ、エンジンは既存の九六式艦上爆撃機搭載の中島「光」一型の改良型を用いることとされた。 愛知は、ドイツのハインケル He 70(海軍が民間型を1機輸入)を参考に、全金属製・固定脚、主翼両側下面に急降下制動ブレーキ板(ダイブブレーキ)を配置し、主翼は低翼式を採用、主翼・尾翼の端を楕円形とした。 昭和13年(1938年)に初飛行に成功。開発当初の本機の挙動は不安定で、何度も改良を余儀なくされた。特に問題であったのは翼端失速による不意自転である。これを主翼の捩じり下げの増加、および垂直尾翼前方のヒレを追加して解決した。本機は中島社製の十一試艦爆と競争試作されたものであるが、中島十一試艦爆は海軍側の要求変更に対し、設計が間に合わず納期遅れで失格となった。これにより本機は昭和14年12月16日、「九九式艦上爆撃機一一型」として海軍に正式採用された。試作機は中島製の光一型エンジンであったが、量産機では三菱の金星四四型(または四三型)が搭載された。
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