区割り変更に伴う選挙区問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 21:28 UTC 版)
「宮路拓馬」の記事における「区割り変更に伴う選挙区問題」の解説
2017年の衆議院議員総選挙では、区割り変更で鹿児島県内の小選挙区が5から4に減少。鹿児島1区は旧1区と旧3区の一部が選挙区となった。 この際の候補者調整では14年衆院選挙で旧3区から出馬し、初当選した宮路が比例単独にまわり、保岡興治が小選挙区から出馬することで決着。宮路は保岡興治の引退後に鹿児島1区から出馬したい意向を示していた。しかし、出馬予定だった保岡興治が衆院選の公示2日前に病気療養のために引退し、長男で自身の秘書である保岡宏武を後継とする考えを表明。結局、宏武が重複立候補なしで公認されて出馬するに至ったが、一部の県議から公示直前の出馬取りやめに「宮路封じ」との批判が噴出した。 この候補者調整問題について、自民党鹿児島県連会長を務める森山裕国会対策委員長は、「1区に当選可能な人に絞り込むが、2人とも将来ある人だ。2人とも政治家として生き残れる道を模索したい。」と述べている。 鹿児島1区への国替えを目指している件について、「2017年衆院選の翌日から、小中高校時代を過ごした1区で活動を開始した。絶対に議席を奪還しなければならない選挙区。障害者福祉や教育など力を入れる政策は県都の1区でこそ生かせる。」と述べている。また、2021年地元紙南日本新聞の記事中でも、「1区で出たい気持ちは変わらない」「政策本位で判断してもらえると考えると、やりがいを感じるし自信もある。政務官の仕事で地元に帰る機会は減るが、草の根で支持を広げていきたい」と述べ、一貫して同区からの出馬に意欲を示している。 2021年の第49回衆議院議員総選挙では保岡宏武が比例九州ブロック(単独2位)に回り、宮路が出馬し当選、立憲民主党前職の川内博史に比例復活を許さなかった。
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