北隊とは? わかりやすく解説

北隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)

テラノバ遠征」の記事における「北隊」の解説

アムンセン隊が出発したという知らせエバンス岬届いた後、キャンベル東隊は「北隊」に変わった1911年2月9日、この隊は船で北に向かい2月17日にケープ・アデアに近いロバートソン湾に到着しノルウェー探検家カルステン・ボルクグレヴィンクの古い宿泊所近くに小屋建設した。 北隊は1911年の冬をこの小屋過ごした1911年から1912年にかけての夏に、その探検計画海氷の状態が悪かったことと、内陸への道を発見できなかったことのために、十分に実行できなかった。テラノバニュージーランドから1912年1月4日戻り、この北隊をエバンス・コーブ近くまで運んだ。そこはケープ・アデアからは約250マイル (400 km) 南、エバンス岬からは200マイル (320 km) 北西にあった。この隊はさらに地質調査行った後の2月18日に船に拾われる予定だったが、厚い叢氷のために船が近接できなかった。この隊は食料乏しかったので、アザラシの肉で補い1912年の冬はインエクスプレシブル島に掘った洞窟で越すことになった。ここで彼らは、凍傷飢え赤痢、という酷い生活を送り強風低温追い打ち掛けられ、狭い宿舎の中で脂身ストーブ不快さに耐えた。 1912年4月17日極点行隊の不在時にエバンス岬指揮していたエドワード・アトキンソン指揮下の隊がキャンベル隊の救援向かったが、悪天候のために引き返した。北隊は氷の部屋の中でその冬を生き残り1912年9月30日ベースキャンプ向かって出発した壊血病兆候あらわれ肉体的に弱っていたが、隊員全員11月7日エバンス岬到着できた。その途上では、難しいドリガルスキー氷舌越えることなど危険な旅があった。北隊が集めた地質標本などは1913年1月テラノバによってケープ・アデアとエバンス・コーブから集められた。

※この「北隊」の解説は、「テラノバ遠征」の解説の一部です。
「北隊」を含む「テラノバ遠征」の記事については、「テラノバ遠征」の概要を参照ください。

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