北海道帝国大学附属水産専門部時代
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「函館高等水産学校」の記事における「北海道帝国大学附属水産専門部時代」の解説
1918年4月1日: 北海道帝国大学附属水産専門部と改称 (勅令第43号・44号)。 1919年3月: 遠藤吉三郎教授休職処分に関する騒動発生。当時の水産専門部主事の研究費問題に絡んだ筆禍事件。遠藤教授は復職せず1921年死去。 1922年8月: 実習船 「第二鴎丸」 (発動機船) 新造。 1927年5月: 練習船 「おしょろ丸」 (2世、総トン数471トン) 新造。 1928年9月: 水産専門部歌 『洋の東』 制定 (西村真琴 作詞、永井幸次 作曲)。 1929年3月27日: 第56帝国議会、附属水産専門部の独立・移転による函館高等水産学校設置を決定。当初は1930年4月開校予定だったが、財政上の理由により延期された。 函館市、学校敷地20000坪・現金25万円の寄附を申し出。 1933年9月: 函館校地 (亀田郡亀田村字港) への校舎建設着工。
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