加藤の戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 10:06 UTC 版)
加藤はマスメディアやウェブサイトなどを通じて世論に訴える戦術を採り、広く公衆の関心を集めた。不信任案提出当日の夜は、特集番組を放送したニュース番組等は軒並み高視聴率を記録し、タクシー・居酒屋・銭湯などは、利用者が通常日に比べ激減するほど、世間の関心を集めた。なお、加藤自身は書籍物における2ちゃんねる関連の記事などで2ちゃんねらーであることを公言している。 加藤は、加藤派の一部の離脱は予想の範囲内であったが、不信任案を通す人数まで切り崩されることはほとんど無いと確信していた。 なお、加藤は日本と外交上の懸案を抱えるロシアや北朝鮮等の外国の首脳に近い側近に使者を密かに送り、「森政権は崩壊して、加藤政権が誕生するから、森首相と交渉しないほうがいい」旨のメッセージを伝えていた。これについて森は「いくら政争といえども、外交の世界ではやってはいけないことと、やっていいことのの線はあると思っている。この線について俺と加藤では違うようだ」と述べている。 マスコミ・世間は不信任案否決に至っても加藤が自民党を離脱し民主党に与すると当然思ったが、加藤は自民党に残ってあくまでも自民党の中で改革を狙うと主張した。2000年当時、自民党を離脱した過去の様々な勢力はどれも一過性なもので、時機が過ぎれば自民党在籍時より政界影響力が小さくなっていたことも、加藤の念頭にはあった。
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