加入のオーディション
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「レニ (ドラマー)」の記事における「加入のオーディション」の解説
1984年5月31日にレニはザ・ストーン・ローゼズ加入のオーディションを受ける。初期メンバーのアンディ・ガズンズによると「A1に募集広告を貼って影響を受けたバンドをたくさん挙げておいた。レニは、明らかにどのバンドも知らなかったんだけどさ。あいつは電話をかけてきた。その週は、アングリー・ヤング・テディ・ベアーズとか訳の分からないバンド名で呼ばれててね。誰かがみんなを煽るために思いついた名前だよ。」 イアン・ブラウンは「俺達はニューヨーク・ドールズが今でも好きなんだけど、ジョンとアンディとピート(初期メンバーのピート・ガーナ―)はジョニー・サンダースに夢中だった。レニはヴァン・ヘイレンだね。初めて会った時、あいつはレゲエを聴いた事がなかった。あいつはヘヴィメタルが盛んなマンチェスター東部で育ったんだ。だからシン・リジーとかAC/DCを聴いてたよ。あいつは正統派のロッカーだし、よくドニントン・パークにライヴを観に行ってた。俺達は、あいつの音楽の趣味をよくからかったけど、すごく熱狂もしてたんだ。俺達は騒ぎたかっただけだから」と当時のレニを語っている。 オーディションを受けると他のメンバーたちはレニのドラムの腕を絶賛し、レニのローゼズ加入が決まった。 ピート・ガーナーは後にその時の様子を 「話し合いも何もなかった。もうレニがバンドに入る事は分かってたから。すごい腕前だった。とにかくすごかったんだ。リハのテープを聴いてみれば分かるよ。レニは曲に触発されたんだ。曲の構成が複雑でも5分くらいで覚えてしまう。これだって思ったね。すごい演奏能力なんだ。バンドサウンドになってるのが聴けば分かる。もちろんサイ (初代ドラマーのサイモン・ウォルステンクロフト) もすごくうまかった。でもレニは別格だったね。」と最初のリハーサルの様子を語っている。 アンディ・ガズンズも 「ドラムを叩きだすと、あいつは狂ったようになるんだ。まるでキース・ムーンみたいだった。細かいテクニックもすごいし、これにも驚いたよ!難しいパートも、サラッと難なくやってしまう。実際何でもできたし、びっくりしたね。かなり叩けるから、すぐにでもバンドに入ってもらいたかった。でも入ってもらえるかは微妙だった。俺達は全然うまくなかった。というか実際はかなり荒削りだったんだ」 イアンは 「レニを見つけたので決まった」 「レニと出会った時、ジョンはパンク・ロックのギタリストだった。けどレニは何だって合わせられたよ。あいつはパブで腕を磨いたんだ。練習に練習を重ねて、パブ専門のエンターテイナーたちとプレイしてきた。あいつには俺達にはない音楽の才能があったんだ。ピート・タウンゼントが俺達の初ライヴを目撃してて、レニのことをキース・ムーン以来の最高のドラマーだって言ったわけだしね」と語っている。 レニが加入した理由をアンディ・ガズンズはこう打ち明けられたという 「少し経ってから言われたんだ。あいつにとって衝撃的だったのは、俺たちが信頼し合ってるって事だったって。俺達の信頼感が伝わったのさ。それまではトーラ・トーラ (地元のセミプロ級メタルバンド) に少し入って、もし俺たちと組まなかったら、あいつはきっと片手間のミュージシャンで終わってたよ」
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