創設期から1970年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 21:19 UTC 版)
「ヴェルダー・ブレーメン」の記事における「創設期から1970年代」の解説
クラブはブレーメンに住む学生が、あるコンテストの賞品としてサッカーボールを貰い受けたことを契機に、1899年2月4日に「フッスバルフェライン・ヴェルダー・ブレーメン」として創設された。クラブ名の「ヴェルダー」とは市内を流れるヴェーザー川の中州を意味する。一方、当時のドイツ国内ではイギリス発祥のスポーツであるサッカーは「非ドイツ的」であると見做され、トゥルネン体操運動の支持者から批判を受けたが、第一次世界大戦の勃発により多くの若者が招集を受けてもなおサッカーは続けられた。 創設以来、クラブは高等教育を受けた男性を対象としていたが、1919年に女性会員の受け入れを認めた。さらにサッカー以外にも枠を広げ1920年に「シュポルトフェライン・ヴェルダー・ブレーメン・フォン1899」と改称し、陸上競技、チェス、テニス、野球、クリケットなどの他のスポーツ部門が新たに設立された。その一方でサッカー部門は1,000人近い会員を有するなどクラブにおいて重要な地位を占めていた。 1960-61シーズンのDFBポカールでは決勝戦で1.FCカイザースラウテルンを2-0と下し初優勝、これがクラブにとって初のビッグタイトルとなった。1963年に創設されたブンデスリーガには初年度から参加し、2季目の1964-65シーズンには守備の要のホルスト=ディーター・ヘットゲスらを擁してリーグ初優勝を果たした。一方で1968-69シーズンに2位となったのを最後に成績は下降線を下るようになり、1971-72シーズンに所属選手が大幅に入れ替わったことを契機に従来の緑色のユニフォームをブレーメン市の旗の色に因んだ赤と白のストライプに変更し、エンブレムのデザインも変更するなどのイメージ転換を図ったが功を奏せず、1979-80シーズンには17位の成績でブンデスリーガ2部へ降格した。
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