副知事と州知事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 05:51 UTC 版)
「ジョン・L・ヘルム」の記事における「副知事と州知事」の解説
1844年、ヘルムはケンタッキー州上院議員に選ばれ、これを1848年まで務めた。1848年にはホイッグ党からジョン・クリッテンデンを州知事候補に選び、その副知事候補としてヘルムが選ばれた。選挙では民主党のジョン・プレストン・マーティンを破って当選した。この副知事であった時期にケンタッキー州での大きな政治問題は、新しい州憲法を採択するかということだった。1848年には上院議員として、住民投票でこの問題を判断させることに賛成票を投じたが、憲法制定会議で策定された文書を見た後では、その批准に反対した。1850年に州上院の議場で行った演説では、「私は改革には賛成するが革命には賛成しない。憲法の修正には賛成するが、それに含まれる重要な原則を全て消し去ることではない」と宣言した。特に司法官を選挙で選ぶ制度を作ることに反対した。この憲法に対する反対で、義父のベンジャミン・ハーディンとの関係が悪化した。この2人の関係は、ハーディンが死の床に就いた1852年まで改善されなかった。新憲法は1850年に採択され、同年6月にヘルムは州民にそれを受容するよう要請した。 クリッテンデン知事は、ミラード・フィルモア大統領の司法長官指名を受け入れるために、1850年7月31日付けで辞任し、ヘルムが知事に昇格した。知事としてのヘルムは州の減債基金から引き出した金で公共教育の赤字を埋める議会計画に対して拒否権を使ったが、議会がその拒否を無効にした。ヘルムは議会に対して、州内鉱物資源の調査を行う資金手当を提案し、さらに農業や製造の資源を調査するよう促した。内国改良への支出を要請し、裁判官により的確な人材を求めるために、裁判官の給与引き上げを提案した。また秘匿された武器を携行することの禁止を求めた。議会はこれら改革提案のどれも採用しなかった。議会を通じて唯一実行されたヘルムの提案は選挙改革だった。
※この「副知事と州知事」の解説は、「ジョン・L・ヘルム」の解説の一部です。
「副知事と州知事」を含む「ジョン・L・ヘルム」の記事については、「ジョン・L・ヘルム」の概要を参照ください。
- 副知事と州知事のページへのリンク