前身機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 03:27 UTC 版)
人員については廃止統合時点での官制上の官吏定員を示し、嘱託、雇員、雇人を含まない。 栄養研究所 - 1920年(大正9年)9月17日設立栄養学についての研究機関。所長佐伯矩、ほか技師7名、計24名。食品の分析や日本人の栄養生理の研究のみならず、食品貯蔵法や救荒食物の開発を行うほか、講習会を開催しラジオで日々献立表を公開していた。栄養療法を実践する療院が附属していた。 体育研究所 - 1924年(大正13年)10月25日設立文部省所轄の体育についての研究教育機関。技師7名、計17名。学校体育に関する教育機能は東京高等体育学校へと分離された。 公衆衛生院 - 1938年(昭和13年)3月29日設立公衆衛生学に関する大学院相当の研究教育機関。院長林春雄、ほか教授7名、計47名。医師、薬剤師、獣医師にたいし公衆衛生教育を行っていた。 人口問題研究所 - 1939年(昭和14年)8月24日設立人口問題、当時では人口の増加と質の向上に関する研究機関。研究官12名、計29名。 産業安全研究所 - 1942年(昭和17年)1月30日設立事業上での災害予防に関する研究および技術者養成機関。所長武田晴爾、ほか技師4名、計14名。独立の官制を持たない厚生省内部の研究所だった。
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