3つの前身機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 07:11 UTC 版)
「京都大学人文科学研究所」の記事における「3つの前身機関」の解説
「東方文化学院」も参照 現在の人文研の前身の一つは、1929年4月に、義和団の乱の賠償金を資金とした「東方文化事業」の一環として設立された東方文化学院京都研究所である。初代の所長は狩野直喜で、1930年11月には北白川小倉町に新築の所屋(現在の分館)が開設された(特徴的なスパニッシュ様式の建物は東畑謙三の設計になる)。同所は開設当時、体制上は京都大学とは全く無関係の研究所であった。その後1938年4月には、東京研究所との2本立てとして外務省の影響下に設立された立場からの脱却を図り、東方文化学院からの離脱を果たし、東方文化研究所と改称された。 一方1934年にはドイツ文化研究所がかつての東一条本館の敷地に、また1939年には人文科学研究所(旧・人文研)が京都帝国大学の本部構内に開設された。旧人文研の所長は小島祐馬であり、京都学派に属する高坂正顕が専任教授に就任し柏祐賢らが研究員として所属した。戦争末期の1945年2月には当時、京都帝国大学総長であった羽田亨が東方文化研究所長に就任し、敗戦後の11月まで兼任した。
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